第九夜 -夜行- @Nha Trang [Vietnam]
夕方から雲が増えたかと思うと、夕立がやってきた。
19:30の出発に合わせて、夕食を済ませ、出発直前に部屋に戻り、
シャワーと着替えを済ませる、これで長いバスの旅もOKだろう、というプランがこの雨で流れた。
夕食の目標は昨夜訪れた「ポークチョップ」の屋台。
小雨になるのを待ち、同じ場所を訪れてみたが店はなかった。
どうやら夕方からのスコールで屋台は店を開かなかったようだ。
食いっぱぐれて仕方なく、ホテルの近くの食堂で可もなく不可もない食事を胃に詰めた。
シャワーを使い、着替えてチェックアウトのために、荷物を担いでフロントに降りた。
「ごめん、夜行でホイアンにいくことにしたんだ、二泊しないよ」
「かまわないよ、旅はあなた次第さ」
「カギを戻すよ。料金は?」
「ああ、一泊分だけくれればいいよ」
「この時間まで使ったのに?」
「これからまだ客が来るしね。『デイユース』なんてメンドウな追加料金はいらないよ」
「そいつは助かる、ありがとうね。じゃあ、行くよ」
安宿とはいえ通常チェックアウトは12時、
それ以降も部屋を使えば、追加料金(=デイユース料金)を取られるもの。
安宿だからか、フロントマンの気まぐれなのかはわからないが、
ちょっとしたオマケで気持ちよくニャチャンを去ることができた。
楽しみにしていたポークチョップは食いっぱぐれたけどね。
車内で横になって眠れることを期待したのだが、バスは満席だった。
普通の観光バスが夜行化しているだけなので、寝るにはチョット狭い。
おまけに車内は真っ暗で、一番のヒマツブシの読書ができない。
持ってきたミュージックプレーヤーは家を出てすぐ、
ヘッドホンのコードを引っかけて切ってしまい、聞けなくなっていた。
ヴェトナムのどこかで代わりを買うつもりだったが、
こんなに早く夜行バスに乗る予定ではなかったので、まだ買い備えていなかった。
いくらやることがなくても20、21時じゃ眠れませぬ。
24:00を前にドライブインで約一時間の「夜食」休憩。
フォーを食べ、明るい店内で文庫本を広げ、読書に浸る。
退屈な車内で死にかけていたところなので、長めの休憩時間がうれしい。
道のりはまだ半分、10時間のバス旅、退屈との戦いはいったいどうなることやら。
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第九夜 -海岸- @Nha Trang [Vietnam]
市場の茶店に別れを告げ、路地裏や裏通りを巡る街歩きを続けた。
茶店を出た後の市場の裏手では、肉や魚がそのままの姿で客を待っている。
注文を受けた店先では、大きく切り分けられた肉の塊は手際よく捌かれ、
大きな魚は食べやすいサイズにぶつ切りされる。
カゴにいた鶏や家鴨は店の裏で悲鳴もあげずに絞められ、店先で羽をむしられていた。
アジアでもヨーロッパでも 市場には「生」が満ち溢れている。
特に肉はありのままの姿をさらし、ケモノであったことを連想させる「肉槐」が並んでいる。
客は当たり前のように「塊」を選ぶ、店員は馴れた手つきで「塊」を捌く。
食べやすい形になっていない肉にはまだ命やエネルギーが詰まっている印象だ。
キレイに捌かれ、食べるだけ形を成しているパック詰めの肉は「製品」、
命や生命のニオイはまったくない。
目の前で骨を砕き、肉を裂くなんて光景は日本の日常生活ではほとんど目にすることがない。
たかだか肉を捌くだけの話しだが、
ケモノを連想させるこの形は子供ばかりか大人にも情操教育にも必要かもしれない。
日本の生活は「食」を求めるため「命」を壊していることを忘れていないだろうか。
声を上げることもなく、手際よく絞められるトリを見て、ちょっと哲学的な考えに浸ったかも。
淡々と絞めたトリを捌くオバチャンのとそれを待つお客のオバチャンの姿に当てられたかな?
白い砂浜が広がるビーチに戻ってきた。
日光浴をする気はなかったが、海岸でノンキに読書もいいかも、と思ったのだ。
夜行バスの車内では読書もできないだろうから、コーヒー片手にビーチもいいかな。
週末の海岸は地元の人でにぎわっている。
小さな子供がお父さんと凧を持って、砂浜にやって来た。
糸を凧に結びつける父を待つ男のコ。
お父さんにカメラをさしながら声をかけてみた。
親子の姿を撮りたくなったのだ。
テレ笑いのお父さん。
男のコは不審(?)な外国人に照れながら父の後ろに姿を隠す。
お父さんが男のコをカメラに向けて押し出してもスグに後ろに。
持っていた日本のアメで機嫌をとったが、男のコは最後までお父さんの後ろだった。
ヴェトナムの人は、押しなべて照れ屋サン。
カメラを向けるとみな照れる。
かなり極端なシャイっプリで、どことなく昔の日本人に似ている。
「ありがとう」とヴェトナム語で伝え、お別れ。
休日の微笑ましい父と子。
アイスコーヒーの行商がいないか、探しながら海岸を歩くと、今度は学生の一団。
ヴェトナムの女子学生の一団に「写真を撮ってくれないか」とカメラを差し出された。
コンパクト・カメラあり、使い捨てカメラあり、3~4個預かって、記念撮影をパチリ。
遠足?学校帰り?なんで記念撮影?高校生?なんのグループ?
英語も通じないところを見ると中学生だろうか。
ヴェトナムに着て初めて「アオザイ姿」を見た。
預かったカメラの撮影を終えて、持っている一眼レフを指差す。
身振り手振りを交え「みんなの写真撮らして」と大声で頼むと、きゃあ、きゃあと大騒ぎ。
外国人に写真を撮られるのがおもしろいのか、一眼レフで撮られるのがうれしいのか、
撮れた写真をデジカメのモニターで見せてあげるとまた大騒ぎ。
オンナのコの笑い声は万国共通で理解不能です。
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第九夜 -言葉- @Nha Trang [Vietnam]
朝起きて、フォーの店を目指した。
ニャチャンはバイクやクルマが少なく、人々も穏やかで過ごしやすい。
「喧騒」のホーチミンに比べ、圧倒的に排気ガスが少なく、海からなびく澄んだ風が心地よい。
町歩きをしていても身体も気分も気持ちよいのだ。
反面、ビーチ以外に目ぼしいものは少なく、2泊することがどうにも時間の浪費に思えた。
昨夜、晩餐のあと訪れたフォーの店はすでに閉まっていた。
食い損なった怨みを晴らすため、地元でも評判の高いフォーの店にターゲットを変更、歩みを進めた。
午前中の早い時間にも関わらず、店のテーブルは地元の人が陣取っている。
店の奥のテーブルを確保、フォー・ボー(牛肉のフォー)を注文した。
フォー・ボー小が10,000ドン、大が13,000、遠慮なく大きいサイズをお願いした。(注;15,000ドン≒¥100です)
フォーとともに付け合せの野菜がザルで供される。
他のテーブル、地元の人の素振りをミヨウミマネ、好きな野菜を手でちぎり、ドンブリに放り込む。
野菜タップリにするもよし、好みの味付けにアレンジするもよし、である。
化学調味料漬けではないダシの良く出たスープが絶品、地元の人が集う理由がわかった。
熱いフォーで血が通い、冴えてきた頭でカフェに出向いた。
今夜の夜行バスの予約が取れるか、直接確認。
19:30のバスに予約を入れ、次の町・ホイアン目指すことを決めた。
連泊すると伝えていたホテルのアンチャンにあやまらないと、と思いつつ、
チェックアウトをしておらず、出発まで部屋を使うことになるのでデイ・ユース料金を取られるかな、
などとコマカイことを考えながら、街なかにあるダム市場を目指し、歩いた。
フランス統治時代の影響からか、ヴェトナムの街の中心には教会が残されている。
アジアの町の風景としては、ちょっと異質な情景だ。
ニャチャンでも小高い丘に大きな教会。
中に歩みを進めると、祈りをささげる人が数名いることにも驚かされた。
円形のダム市場に到着。
土産物屋を中心に乾物、生花、スパイスなどの店が展開している。
裏手に回ると、野菜や精肉など地元の人々の生活を支える品々が色濃くなった。
食堂街、というか、行商の人や地元の人たちの胃袋を満足させる屋台のエリア、
おもしろがって写真を撮っていると、お茶を飲んでいた行商のオバチャンに呼び止められた。
「呼び寄せられた」というのが、正確な表現だろうか。
行商の荷物を降ろし、コーヒーを飲むオバチャン2名とオジチャン1名に
「あたしらも写真撮ってよ」という感じで手招きされたのだ。
面白がって、茶店の長イスに腰掛け、カメラを構える。
撮れた写真を見せると、3人は声を上げて笑った。
茶店の品のいいオバチャンはそれを微笑ましく眺めている。
言葉はまったく通じない。
ヴェトナム語であれこれ尋ねられるが、まったくわからない、たぶん、どこの国から来た?とでも尋ねているのだろう。
しかし「ジャパン」すら通じず、困り果てる。
英語も100%通じない、こちらもヴェトナム語が100%わからない。
パスポートを見せたら、ようやくうなづいてくれた。
「アイスコーヒーください」と言ったものの、どうやら店のオバチャンも英語がわからない。
行商のオバチャンが飲んでいたアイス・コーヒーを指差し、注文する。
「カペダー?」
「かっぺだ?」
彼らが口々にする言葉がわからなかった。
だが、出されたコーヒーを口にして、ひらめいた。
グラスを指差し、「カフェ・ダー?」と口にしてみた。
彼らは揃って、うんうん、と頷く。
ガイドブックで見つけた「冷たいコーヒー」を意味する言葉を思い出したのだ。
まさに光明、その瞬間、この単語は一生忘れない言葉になった気がした。
市場を歩き回った熱さであっという間に空になったグラス、もう一杯頼もうかな、と思っていると、
茶店のオバチャンが氷の残ったグラスに緑茶を注いでくれた。
同じように彼らもグラスに茶を注いで飲んでいる。
言葉も通じず、コーヒーを飲んでは彼らやあたりの写真を撮った。
撮っては見せて、見ては笑って、フシギな時間が過ぎ去った。
カフェ・ダー3,000ドン、ローカルなひと時が流れた。
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第八夜 -路肩- @Nha Trang [Vietnam]
ニャチャンの町に到着したのは18:30、あたりは薄暗くなり始めていた。
途中、一般道の道路工事などがあったためか、8時間の行程が2時間遅れ。
10時間はかかりすぎ、座りすぎてオシリが痛い。
日本と変わりない夏の日の傾き具合、それでもさすがにこの時間になると街角には灯がともる。
暗くなると宿探しがメンドウだし、遅い時間になれば安くていい部屋は埋まっていく。
遅れて到着したバスに群がる客引きはおらず、またも自力でホテル探し。
前の宿にあった「ロンリー・プラネット」で頭に入れた安宿通りを目指す。
最安のこじんまりした宿はすでに満杯、カバンを背負い直し、あらためて宿探しだ。
第二候補の古くてバカデカイホテルへ出向くと、やたらとデカイ部屋を案内してくれた。
ツインだがシングル料金の$6でいいという。
料金はフロントに明示されているからモメることもない。
部屋の広さと釣りあわない安さに「水シャワー」か、と心配したが、それも問題なし。
だだっ広い部屋を気に入り、ここに決めた。
陽が落ちてしまった海岸を歩く。
広いビーチに沿うようにして、国道が走っている。
海岸線の国道とビーチだけを眺めれば、ヨーロッパのリゾートと変わりがない。
汐風がベタつかないのもヨーロッパの雰囲気を思わせた。
背の高い建物がなく、人影も少なめなのがベトナムらしいところだろうか。
徒歩でビーチに出られる立地条件、数年後には外資系ホテルがバカスカ林立しそうだ。
ホーチミンの排気ガスと圧縮されたバスの空気から、鼻腔や肺がようやく開放された。
海岸から国道を渡り、街なかには入ると、軒先にシーフードを並べたオシャレなレストランが軒を連ねている。
店先のグリルでシーフードを焼き、煙りと香りが道行く観光客の足を止めている。
海に来たので海産物の魅力に大いに惹かれたが、一人で夜のレストランに陣取るのはニガテだ。
ヨダレがでそうなシーフードに別れを告げた。
空腹を引きずりつつ、街歩きを続けていると、
舗道の一角で肉を焼いている屋台が地元の人で混みあっていた。
こういう時、「うまいもの探知」の嗅覚が効く。
「地元の人で混んでいればハズレがない」というのがタネアカシですが。
迷わず、路肩のベンチに腰掛けた。
注文する料理の名前もわからず、隣のオヤジサンが食べていたものを指差し、
「一人前」を示す指一本を立てた。
手馴れているのか、店のオバチャンは無言で受けてくれる。
こういうときは目線が交わせていれば、問題ナイ。
慌てて「いくら?」とベトナム語で尋ねると指一本を立てた。
料理を待っている間に、リゾートらしくリラックスした服装の欧人夫婦が隣に座った。
「こんばんは」
こんなところで食べているのは地元の人しかいない、と思っていたのだろう。
英語で話し掛けると、ハッと振り返った。
「外国人?旅行者?」
「そうです、日本から」
「わたしたちはイタリアですよ」
「『ボナ・セーラ』(こんばんは)」
「お。イタリア語、わかりますか?」
「いや、アイサツだけです。旅行の仕事をしていたので」
たわいのない話しをしていると、白いご飯と料理がやって来た。
出てきたのは「ポーク・チョップ」。
そういうと聞こえはいいが、いうなれば「生姜焼きのショウガなしバージョン」。
薄く切られた豚肉は、下味が染み込んでいて、キワメテ日本人的味覚で白いご飯によく合う。
単純だが、オイシイ。
「イケるでしょ?わたしも嫁もこの店が気に入って、毎日来ているんです、おいしいよね」
「日本人に合うのはわかりますが、イタリアの方の口にも合うんですね」
そういうと追いかけるように食べ始めたイタリア人のダンナは、1人分を平らげ、2皿目をオーダーした。
「『タント』(たくさん)ですね~」
「一人前じゃ、足りないですよ、ベトナムの人は少食だ」
あまりのおいしさに2皿目を頼みたかったが、実は手前で見つけた『フォー』を食べるつもりでいたので、留めておいた。
会計を頼むと、10,000ドン(約¥70!)。
指一本はそういう意味だったのね・・・しっかし安い。
「『ボナ・ノーテ』」
コップの冷たい水を飲み干し、立ち上がり、おやすみなさい、のアイサツを交わすと、フォーの店を目指した。
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第八夜 -酒宴- @Phan Tiet [Vietnam]
7:30のバスでホー・チ・ミン・シティ(HMC)にお別れ。
シン・カフェの前でバスを待つ。
ところが次から次に現れるバスのどれが自分の予約したものか、わかりづらい。
待っていてもラチがあきそうにないので、バスが止まるたびに運転手を捕まえ、行き先を聞く。
定刻どおりにはこないだろう、と高をくくっていたが、バスはすぐにやって来た。
目的地は「ニャチャン(Nha Trang)」、海岸沿いの町まで8時間。
また長いバス旅がはじまった。
商業と経済の街であるHMCでは、ショッピング以外に目ぼしいものはなく、
その気のない身としては、この街での滞在はカンボジアで放電した分を蓄えるものと割り切った。
幸い、めぐり合った安宿は快適な設備とサービスが揃っていて、2泊の間に充電完了。
こういう宿では他の宿泊客との交流も楽しく、またそれが旅の活力にもなった。
コーヒーを飲もうとロビーに下りると、フロントで清算している女性がいた。
明朝の出発が早いらしく、あらかじめの清算。
こちらもバスで朝が早いことを思い出し、ついでに清算してもらった。
彼女はハノイからHMCへ下ってきた、という。
恰好の情報収集相手だ。
コーヒーを入れ、途中の街の見所、オススメ・スポットを尋ねた。
ヴェトナム情報をあれこれと話しているうちに彼女はゲラゲラと笑い出した。
「どうしたの?」
「アナタ、ナニ人?」
「日本人だよ」
「そうよね、さっきパスポートもみたけど。でもなんでシングリッシュ?」
「あ」
『シングリッシュ』とはシンガポール訛りの英語のこと。
語尾を延ばすのが特徴で、「ら~」をつけるクセがある。
「OK」=「オッケ~ら~」、NO=「の~ら~」、
「できない」=「キャンノーら~(Can not la~)」なんて言葉が特徴的だ。
「以前、シンガポールで働いていたんだよ」
「ヴェトナムでシングリッシュに会うとは思わなかったのよ、笑ってごめんね」
「モー・マン・タイ・ら~(無問題la~)」
ゲラゲラと笑い声がまた大きくなった。
峠を越え、海岸線に出たバスはトイレ・ストップを取りつつ、12:30にムイネー(Mui Ne)に到着した
ランチ・タイムも兼ねての休憩は45分。
バスが横付けしたホテルのレストランに乗客が列を成している。
ここムイネーとファンティエット(Phan Tiet)の町は海沿いのリゾート・エリア。
海岸沿いに並ぶホテルもオシャレなスタイルでリゾート価格。
途中の車窓からはビーチ・リゾートやゴルフ場がいくつも見え隠れしていた。
経済的な旅を目指す「バジェット・トラベラー」には縁遠い場所。
そのため、立ち寄るつもりはなかったが、ランチ休憩で思わぬ散策タイムとなった。
固くなったカラダをほぐしつつ、ビーチへ。
すると木陰でくつろぐ地元の人がいる。
のどかな情景に「写真撮っていい?」とカメラを示すと照れくさそうに笑った。
旅を進めるに連れてわかってくることだが、ヴェトナムの人はおしなべてシャイ。
カメラを向けると大いにテレる。
それでも数枚のカットを撮らしてもらい、デジカメのモニターで写り具合を見せると、オオウケだ。
デジカメはこんなところが楽しい。
「おまえも座って飲めよ~」
機嫌が良くなった彼らが、身振り手振りでいう。
彼らのヴェトナム語はわからないし、こちらの英語は通じてない。
多分そんなニュアンスでしょう、とご好意に甘え、円陣に腰をおろした。
職人さんたちが弁当を食べているのかと思ったら、大間違い。
昼間っから酒宴、焼酎のような蒸留酒をひっかけている。
ショット・グラスに注がれた酒を飲み干すと、ヤンヤの喝采。
バスの出発時間が迫っているのが口惜しかった。
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第七夜 -道路- @Ho Chi Minh City [Vietnam]
この国の人はあまり信号や交通法規を守らない。
ニギヤカなホー・チ・ミン・シティに限ってのことかもしれないが、
バイクはもちろん、クルマやバスもわれ先に交差点に飛び込むため、始終、酷い状態になっている。
赤信号でも止まる気はサラサラなく、交差点周辺はクラクションと排気ガスが渦巻いている。
大通りは交通量も多いため、さらに酷いことになり、結局、警官が交通整理をすることになる。
調子がいいもので、交差点に警官が立つと、急にみんな優等生。
信号が青になっても警官の指示があるまで動き出さない。
そういえば添乗でたびたび訪れた中国もまったく信号を守らない国。
「青はススメ、黄色は気をつけてススメ、赤は急いでススメです」
とガイドが冗談めかして言っていたが、実際に交差点を走ると彼が表現したままの無法状態だった。
発展途上や後進国に限ってのことなのか、というと、これがそうでもない。
ヨーロッパでも南のラテン系の国々だと、信号を守らない人は多い。
「快適な暮らしをするためのルールとして定められているのだから、快適でないと判断すれば守らなくてもいいものだ」
と口にする人が多かったことを覚えている。
日本に来た経験があるフランス人が、
「真夜中に誰もいない交差点で、赤信号で止まっている車を見たとき、すごい国だと思った」
と言っていたのは冗談なのか、イヂワルなのかはわからない。
オーストラリア人のバス・ドライバーはレンタカーを借り、
家族4人で日本を巡った経験がある、と楽しそうに話してくれたのを思い出した。
「どこが一番良かった? 日本で印象に残ったのは?」と尋ねると
「家族で一番盛り上がったのは『ガソリン・スタンド』だね。日本のアレはすごいね」
「『ガソリン・スタンド』? 子供がクルマ好きなの?」
「いや違うよ。窓は拭いてくれるし、灰皿を洗い、エンジン・ルームも点検してくれる。
こっちは座ったままでお金まで払えるのはすごいよ。
おまけに帰るときは、スタッフが道路に出て、命がけでクルマを止めて、僕らを送り出してくれるんだ。
あれは他の国にはないシステムだよ」
「セルフ式のスタンド」が普及する前のお話し。
国が違えば、視点も違うものである。
朝や夕方のラッシュになるとホー・チ・ミン・シティの道路事情はさらに惨い。
ただでさえ多いバイクが倍増し、道路に溢れかえる。
溢れかえったバイクは車道だけにとどまらず、空いている舗道も走り出す。
「道路」という道路がすべてバイクで満ち溢れる。
おちおち気を抜いて舗道を歩いていられないかというとそうでもない。
バイクは慣れたもので、歩行者を巧みに避けていく。
日々の通勤で培ったテクニック?!
この街を歩いていて、こちらもバイクを避けるテクニックを身につけた。
交通量の激しい道路を渡るとき、「青信号」だからと気を抜いてはいけない。
向こうが「赤信号」を守ってくれる保証はない。
とはいえ、慌てて走ったり、バイクを避けよう、と思ってはいけないのだ。
堂々と歩く。
「急流」に抗わず、逆らわず、「流れ」に身を任せるように渡る。
これでOK。
基本、運転手は「人を轢こう」とは思っていないわけです。
バイクもクルマも「轢く」ために運転しているわけではないので、そこに委ね、歩けば、向こうが避けてくれるわけですね。
できることならドライバーと目線を合わせるのがコツで、これで危険度はかなり下がります。
ただしバイク乗りは、排ガスよけに覆面やハンカチを巻いているので、かなりアヤシイ状態です。
身をかわそうとする、なんてのはもってのほかで、よけた方向にバイクが飛び込んできますぜ。
以上、役に立たないヴェトナム情報。
え? 事故は起きないのかって? 始終、そこらで「ガシャン」って音がしてます(笑
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第七夜 -珈琲- @Ho Chi Minh City [Vietnam]
フランス統治時代の古い建物を眺めて歩く。
いまだ「サイゴン」という言葉を使いたがる日本人は多いが、街の中はもちろん、人々の口にもその言葉に会うことはない。
使用を統制されているのか、はたまた忘却の彼方の名称なのか、それはわからない。
「江戸」を捨て「東京」に移った明治の日本もこうだったのだろうか。
暑さと排気ガスに負け、オシャレで現代風なカフェに沈んだ。
最近は東南アジアでもスターバックスに似たシャレたカフェが急増している。
コーヒーそのものを「ネスカフェ」と呼ぶ東南アジアでも人々の嗜好は変わりつつあるのだろうか。
シンガポールで仕事しているとき、ランチタイムに「レギュラー・コーヒー」を出している店を察すのに苦労した。
食後に「コーヒーを一杯」と思っても、出会うのは「ネスカフェ」ばかり。
コーヒーというとシンガポールでも例に漏れず、コンデンス・ミルク(練乳)が沈殿するほどタップリ入ったヤツだ。
現地では「コピー」と呼ばれ、砂糖と練乳がシッカリ入った大甘な飲み物。
紅茶の場合は「テ」、いずれも甘くて病み付きの味ではあるが、苦味からはほど遠い。
ミルクを抜いてもらうなら「コピー・オー」(紅茶の場合「テ・オー」)、
「コピー・オー・コソン」(同「テ・オー・コソン」)でストレートを頼む手もあるが、元がインスタントなので、あまりうまくない。
(紅茶の場合はティーバッグがホトンド)
食後に甘いモノを飲む気がしないのは、日本人的習慣なのだろうか。
さりとてうまくない「コピー・オー・コソン」を飲む気もせず「テ・オー・コソン」でまさに「お茶を濁し」ていた。
会社のスタッフに聞いてもレギュラー・コーヒーを飲む人はおらず、当然、オフィス周辺でコーヒーを出す店を知らない。
結局、ランチのエリアを広げつつ、なんとか自力でレギュラー・コーヒーを出している店を発掘したが。
オフィス街に近いこともあって、内装もイスも凝ったカフェは混んでいた。
外国人ビジネスマンは熱い日差しが刺さるテラス席を陣取っている。
メニューを見るとコーヒー16,000ドン、
アイスコーヒーが18,000、
ランチ一回より高いのね。
ヴェトナムでは旅行者にとって、もうひとつ重要な「カフェ」がある。
バス、鉄道、航空機のチケット販売や観光ツアーの手配をしてくれる旅行代理店が「カフェ」を名乗っている。
どうやら長距離バスを運営し、旅行者の手助けをビジネスにした「シン・カフェ」と呼ばれる会社がことのはじまりで、
これにあやかる同業者が「XXカフェ」と名乗り出し、
旅行者が集う通りにはコーヒーを出さないカフェが軒を連ねることになった。
そのシン・カフェで「オープン・バス・チケット」を購入した。
このチケットは目的地を選ぶと、途中の下車回数によって料金が決まる。
ハノイ行き、途中3つの町で下車、これで$23。
追加料金を払えば、下車回数は増やすこともできるし、
「オープン」の名のとおり、予約しだいで好きなときに利用できるフレキシブルさがいい。
澄んだアイスコーヒーを口にしながら、本と地図を広げ、この街以降の行程を練り直すことにした。
ハノイへの北上の道のり、ヴィザ期限は15日間、日数はまだある。
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第七夜 -市場- @Ho Chi Minh City [Vietnam]
夏のさなかに街を歩く人は少なく、蒸されながら通りを歩く物好きな観光客も目にしなかった。
街には「戦争の跡」といえるものはないに等しい。
メコン・デルタやクチ・トンネルのツアーにでも出向けば、
少しは「戦争のツメ跡」に出会えたのかもしれないが、興味は募らなかった。
それよりも40年近く経過した「戦争のあとの世代」に興味が沸く。
今、ヴェトナムの人々はどんな暮らしをしているのか、リアルに覗いてみることは難しいだろうが、
旅をしながら「普通の暮らし」を垣間見てみたかった。
目的もなくブラついていたが、市場なら「生活」に近い風景が見えるかもしれないと思い立ち、
市内に数箇所ある市場を巡ってみることにした。
宿があるファングーラオ通りの端にある「タンビン市場」、
宿のすぐ南側にある「ヤンシン市場」を後回しにして、
もっとも有名な「ベンタイン市場」を目指した。
ファングーラオ通りは「安宿通り」だった。
両替所からネット・ショップまで隙間を開けずに並んでいて、便利この上ない。
すがる思いで話し掛けたカナダ人カップルに感謝だ。
泊まっているホテルでは「両替はやってない」といわれ、目の前の店へ。
ヴェトナム語で銅あるいは青銅を意味する通貨単位「ドン」は$10で約160,000ドン。
¥100≒15,000ドンと考えれば、メンドくさくなそうだが、
物価を把握していない現状では1万ドンにどれぐらいの価値があるのか、サッパリ状態。
市場なら少しは物価の相場が見えるかもしれない。
観光地としても有名な「ベンタイン市場」は、観光客と地元の人でごった返していたが、
建物の中でエアコンが効いていて快適だ。
Tシャツからスーツ、民芸品からキーホルダー、化粧品に香水、乾物に瓶詰め、生花に青果、
観光客から地元の人の生活用品まで、品物が揃っている。
「戦争」や「社会主義」の貧しさはかけらもない。
ショッピングに意欲が湧かない我が身としては、
なにに使うかわからない調味料や得体の知れない乾物、見慣れない果物を眺めて歩くのが楽しい。
市場の中に屋台の一角があった。
オバチャンが一心不乱に何かを焼いている。
クレープのような薄い皮を手際よく焼くその手に眼が吸い寄せられ、カメラが惹きつけられた。
働いている人をただ見つめ、ただ写真を撮るだけでは失礼。
屋台に座ると、調理しているそれを注文してみた。
「これひとつ、ください。なんていうの?これ?」
「BAN CUON(バン・クオン)よ。いま、できたてを出すわね」
店番をしていた若い女性はキレイな英語で答えてくれた。
どうやらオバチャンは調理専門らしい。
「BAN CUON(バン・クオン)」は蒸し春巻のこと。
ヴェトナム名物の「生春巻」は「GOI CUON(ゴイ・クオン)」、もっともそれは後で調べてわかったことだ。
「これ、なにでできているの?」
「米よ。米を汁状にして焼いているの」
説明の真横で、調理担当のオバチャンは黙々と枚数を重ねている。
ボールからオタマでその汁をすくうと、丸いプレートの上に手際よく広げる。
クレープ屋さんの実演そのものだ。
米クレープが焼き上がると箸を上手に使い、プレートからはがし、広げ、冷ます。
熱を逃がした米プレープに挽肉と刻み野菜の炒めたものを手際よく乗せ、キレイに畳むと完成だ。
すべての行程が手際よく、できあがりも美しい春巻に感嘆した。
添えられたニョクマムやチリソースをつけて食べるとその味に感嘆した。
モッチリした食感がなんとも日本人好みなのだ。
「うまーいい!!」
声に出していうと、オバチャンが笑う。
「いまの日本語の意味は?」
カウンターの向こうからの問いかけ。
「NGON!(ンゴン!)」
慌ててヴェトナム語で「オイシイ」を連呼する。
腰掛けて一息ついているオバチャンが、また笑った。
「気に入った?それならまた来てね。店の番号はコレ。値段はメニューにあるから外国人でも心配ないわよ」
蒸し春巻一人前15,000ドン、どうやらアタリクジ。
オカワリを頼み、話しを聞いていると、親子で店をやっているという。
「おかあさんが焼いてくれて、それをわたしたち、娘が売っているのよ」
「わたしたち?」
「妹がいるのよ。でも店番もしないでほっつき歩いてばかり。さっきまでいたけど、またどっかいっちゃった」
そうグチると、大きな声で名を呼んだ。
その声にあわせるように、母と姉と同じ顔をした女のコが現れた。
「アンタ、ドコいってんのよ、店番しなさいよ」
「えー、休憩時間っていってたじゃーん」
「アンタ、いつも休憩時間じゃない!」
姉に叱咤されると、おもむろにカウンターにもぐりこんだ。
文句をいう姉に比べるとおかあさんは寡黙、しばらくするとまたプレートに白い生地を広げている。
喧騒の市場の中、なんとも微笑ましい風景。
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第七夜 -安宿- @Ho Chi Minh City [Vietnam]
シェムリ・アップで買ったデイパックにカメラを放り込み、街を歩く。
使い古したデイパックはファスナーがちぎれてしまったので、こいつに入れ換えた。
古めのバッグを持ってきて、旅先で買い換えるのはよくやる手だ。
なにしろバッグ類は東南アジアだと格安で手に入る。
今使っているリュック型のキャスターバッグも普段使いの革のビジネスバッグも旅先の品。
旅先で貴金属や民芸品を買うわけでもなく、
ショッピングとなるともっぱらこんな日用品を買うぐらいなのだ。
ホーチミンの町なかは昨日の雨のおかげか、日本の夏より少し暑い程度だった。
プノン・ペンの灼熱を通過してきたせいか、この程度の暑気なら楽に感じる。
深夜バスの座席の形に固まってしまっていたカラダは、
たまたま出会った快適な部屋とベッドのおかげですっかりほぐれていた。
安宿にも関わらず出された朝食とコーヒーも体力の回復を後押ししてくれていた。
昨夜、HMCに20時前に到着したバスを降りると、出迎えてくれたのは涼しい雨だった。
メコン河の渡河から降り出した雨が先回りしたのか、あるいはバスで運んでしまったのか、
傘を持たないバスから降りた乗客たちをタップリ濡らしている。
荷物を背負いながら、ノンキに安宿でも探すかと思っていたのだが、
まさか知らない街でバスから放り出され、手荒な歓迎にさらされるとは予想していなかった。
トランクから引き出された荷物を受け取ったもののアテはなし。
漠然とアテにしていた客引きたちも、この雨では姿を見せていない。
安宿のエリアがドコなのかさえも知らないのだ。
雨から逃げるように荷物を抱え走り出そうとした旅行者カップルに慌てて声をかけた。
「ホテルどうするの?」
「わたしたちは予約があるのよ、そこに行くわ」
「安宿を探しているんだ。いっしょに行ってもいいかな?」
「彼が知ってるんだけど予約したのは安いホテル。
でもわたしたちも地図をみながら探すことになるけどいい?」
客引きもいない状態では、同じバスで同じようにバックパックを担いだ人間をアテにするしかない。
この時とばかりにチョットだけ必死のコミュニケーション・タイム。
「2ブロックぐらいだから、濡れないように走るよ」
とカレが叫ぶ。
「OK、キミたちを見失わないようについていくよ」
聞こえたか聞こえないうちにカップルは走り出した。
時折、軒先で雨を避けながら、ドコから来た?とか、これからドコへ?とか、互いに情報交換。
雨音に負けないよう、互いに声を張り上げながら、路地を駆け抜ける。
5分もかからずに安ホテルのロビーに転がり込んだ。
「さほど濡れなかったね」
「地図を見ながらだけど、迷わなくてよかったよ」
「いや、こちらこそ助かったよ。右も左もわからないでバスから降りたからね」
「この程度でいいなら、お安い御用さ」
カップルは予約名を告げ、手際よくチェックインの手続きをすると部屋に上がっていった。
「あなたは? 予約は?」
受付の女性がていねいな英語で問い掛けてきた。
「予約はないんだ、バスで彼らといっしょでついてきたんだ。部屋見せてもらえる?」
安宿はシングルでもドミトリーでも部屋を見せてもらって決めるのが基本。
部屋の状態と設備が料金にマッチしているか、実際に見て確かめて決める、というわけだ。
「シングルならあるわよ。いま、見せるわ。カギ用意するから待っていてね」
そういうと後ろから「空室ある?」という声がかかった。
振り向くと、北欧系を思わせる色の白い女性が荷物を抱えて立っていた。
「いま、カレに見せるところ。あなたも部屋を見る?」
二人して荷物をフロント前に放り、彼女に付き従った。
螺旋状の狭い階段を5~6回巡っただろうか、
ギブアップしかけたところで、シングル・ルームのドアを開けてくれた。
「シングルは$10。エアコン付きで朝食と夕食がセット。コーヒー、インターネットも無料。
TV、冷蔵庫もついているわ」
到着前は$7~8でシングルを探すつもりでいたので、少し予算オーバー。
カメラなどの貴重品があったので、はじめから安いドミトリーには眼中になかった。
「うちよりも安い宿はあるわよ。でもエアコン、冷蔵庫があるかは知らないわ」
手入れの行き届いた部屋とサービスのよさに驚いている気持ちをチョッピリ見透かされたようだった。
「いい部屋だし、熱いシャワーも魅力的だけど、もう少し下のフロアの部屋はないの?」
冗談めかしていうと、北欧系の女のコもうなづいている。
「下のフロアはダブルなのよ。シングルは上のほうだけ」
「宿泊したら毎日、エクササイズだなあ」
螺旋階段に笑い声が響いた。
雨の中、荷物を背負って、他の宿を探す気にもならないこともあったが、
予想をはるかに上回って、快適に過ごせそうな空間に出会えたことに気分が浮き立っていた。
螺旋階段を下りながら、「ワン・シングル!」と声に出していた。
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